【Disney+】ロキ シーズン2

「時間」という軸は存在し得るのだろうか。僕は以前から、「時間を遡る」とはすべての素粒子が逆向きの運動をすることで、すべての現象が逆向きに進行することであると考えていて、不可逆性のある化学反応が存在する以上、その逆行は現実的に不可能だと考えていた。

しかし、「ロキ」のシーズン2最終話を見ながら思い至ったのは、物質の運動とは別の軸として「時間」が存在するということなのではないかということ。その視点で考えてみると、すべての物質やその運動からは独立した形で「時間軸」が存在するということは、すなわち絶対時間が前提となるはずだ。絶対時間が存在するということは、何者もそれを離れることはできない。つまり、時間軸を移動することはできないし、比較して検証することもできないということで、言い換えれば「時間旅行は不可能」ということでもある。

この物語においてマルチバースをテーマにする意図はよくわかるが、それをロキの物語とする必然性はあったのだろうか。北欧神話においてロキとは、「終わらせる者」という意味のようだ。これが「あり続ける者」との対比になっているのだろう。また、最後に「どんな王になるか」がわかったと言わせることで、関連性を補っているようにも思えるが、結局は後付けの印象しかない。僕にとしては、この作品になかなかなじめなかったのだが、その理由がわかったような気がした。

ちなみに、「最終進化系」としてのロキの姿が、手塚治虫浦沢直樹によるプルートゥに似て見えた。2本の角は、北欧神話のロキにもあるようだが、何のメタファーなのかが気になった。