【男子バスケ】日本―韓国

前日の試合では八村塁が登場して活躍していたが、日曜日の試合は欠場。富永啓生と西田優大、渡邊雄太も欠場したので、ベンチが妙に華々しく賑やかという状況になっていた。前週のモンゴル戦は代表レギュラー手前の選手にチャンスを与えたことで初戦を落とす結果になっているだけに、メンバーを落としたからという言い訳は通用しない。ただ、それでも勝てるという桶谷大ヘッドコーチの判断があってこそだろう。

1Qは韓国に5分近く得点を許さない一方的な展開から、やや気が緩んだのか日本のシュートが落ち始める。河村勇輝のノールックパスを含むプレースタイルはやり過ぎな印象もあったが、有明アリーナに集まったファンを楽しませることにも意味はある。河村のインサイドアウトから富樫勇樹のスリーというプレーもあり、前半は 48-32 で日本がリードを保つ。

佐々木隆成とジェイコブス晶が要所で貢献していたのも心強かったが、気になったのは馬場雄大のシュートがリングに嫌われる場面が散見されたこと。これはこの試合に限らず、これまでにも結構な頻度で見られたことだ。シュートの回転のかけ方の問題なのか、何か彼に固有の要因がありそうだ。

3Qの立ち上がりは韓国が立て直してきたかに見えたが、苦しい時間帯に河村がポイントを重ねて点差を詰めさせず、シェーファーアヴィ幸樹のブザービーターでクォーターの得点を追いついてしまった。先日の女子の韓国戦は、田中こころの試合終了間際の3Pで逆転勝利を収めているが、こういう展開は盛り上がるし記憶に残る。

4Qも日本はペースを落とさない。佐々木がここまでの3Pを4/4とした直後にスティールから2Pを決めるなど、存在感を示す以上の活躍を遂げる。ジョシュ・ホーキンソンのプレータイムが大幅に減る中でも、チームとしてのプレーのレベルは変わらなかった。ジェイコブスの10リバウンドも素晴らしい。

終わってみれば 95-66 の圧勝。8/27からのワールドカップ予選に向けて、よい弾みとなった。勝てる相手ではあるが、あまり余裕をかましてしまうと足元を掬われる。驕りにならないように、引き締めて行こう。

【J2 2026-27】仙台―大分

開幕戦の大分は、百年構想リーグのひどいサッカーから脱皮して悪くない内容を見せてくれたので、仙台戦に期待していた。ただ、仙台は相性のよい相手ではないこともあり、新加入選手が多い中で開幕戦のようなサッカーが続けられるどうかがポイントだった。

結果的にはスコアレスドローだったが、攻めの形ができていたとは言いにくい。清武を使わずに終わったのは、アウェイゲームということで無理をせず守備重視というメッセージだったのだろう。終盤に投入された有働はあまり有効に使えてはいなかったが、茂が想定以上に仕掛けに絡めていて期待が持てた。小田が未だ突破力を見せる場面がないだけに、茂のスタメン起用もあるかもしれない。

僕が一番気になったのは、三竿のパスがことごとくズレていたこと。セットプレーも含め、決定的なチャンスにできなかった場面が散見された。本来は三竿か宇津元が蹴るセットプレーは得点源なのだが、今節の状況を見る限りはどちらも期待薄だった。

一言で言えば、ゴール前の枚数が足りない。かつてのように必要以上にこねくり回してビルドアップに手数を掛けることはなくなったが、その分前が揃わないうちに勝負せざるを得なくなっている。古川と有馬の関係がもう少し出来上がってくれば期待はできそうだが、中盤の押し上げも必要だろう。次節のいわき戦ではゴールを見たい。山口の負傷も心配だ。

【映画】ハムネット

イングランドにしては豊潤に見える森で出会うウィリアム・シェイクスピアとアグネス。それはまるで「夏の夜の夢」の妖精パックが棲んでいるような世界だ。「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督が作り上げる物語は、心にインパクトをもって訴えかけてくるものがある。

神話や聖書の物語は世代を超えて受け継がれているが、シェイクスピアの戯曲もまた同様。現代ではビートルズの音楽やスピルバーグの映画もそこに加わる。国や民族を超越するという意味では、ジブリ作品を含めてもよいかもしれない。子どもたちが民話の仮装をしている場面があるが、日本の民話にも通じるようなものだった。

そして「ハムネット」という作品は、人類の歴史を彩るシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に籠められた意味を組み直し、新たに紡ぎ上げた作品と言ってよい。序の部分で、ストラトフォードでは「ハムレット」と「ハムネット」は同じ名前だと考えられているということが示されているが、実際にシェイクスピアにはハムネットという息子がいて、11歳で夭折している。

息子を失ったアグネスにとって、夫ウィリアムが早々に家庭を離れ、ロンドンで演劇に打ち込むことは家族への背信行為に見えていた。しかし、目の前で上演された芝居を見ることで、ウィリアムが世界中に伝えようとした切実な息子への思いを理解する。

僕自身、エンタメの業界に身を置く身だが、演劇もエンタメのひとつ。エンタメは生活する上で必需品ではないとされ、優先順位が低いかのように扱われることがある。しかし、人が生きてゆく上で自分の心がどう動くかはとても大事なことであり、特に差し迫った危機や不安があるときにはなおさらだ。実際、東日本大震災やコロナ禍の時期に、僕たちの企業が提供するエンタメを支持する声は小さくなかった。

精神的に追い詰められたウィリアムが、自身の思いを舞台という形で表現し、それがオーディエンスに伝わる。他人の失敗や岐路における選択に目を向けることで、自分自身の行動のヒントにしたり、感情を共有したり。それがコミュニティを形づくるのであり、それらをより多く共有することで結束力が高まってゆく。

俳優陣では、何と言ってもアカデミー賞主演女優賞を獲得したジェシー・バックリーの渾身の演技が光る。山奥でひとりきりで出産するシーンや息子ハムネットを失うシーンは、特に見応えがあった。

美しい映像や撮影技法はファンタスティックな世界観を構成するが、編集はやや雑な印象で、余韻に浸ろうとすると場面が切れてしまうことが何度もあったのは本当に残念だった。

【アート】赤坂迎賓館の藤田嗣治展

9/15まで赤坂迎賓館で、藤田嗣治の生誕140周年を祝う展覧会「国宝迎賓館で出会う、フランスのやわらかな風景」が開催されている。藤田の作品は全6点と多くはないが、壮大な洋館に展示された作品からは、天井画や室内装飾とも相俟って時空を超えたような雰囲気を体験できる。

個人的には、以前訪れたウィーンのベルヴェデーレ宮殿に似た印象を持った。この建徳は、ジョサイア・コンドルの弟子である片山東熊によるものだが、彼は東京国立博物館表慶館や京都と奈良の国立博物館、鳥取の仁風閣などを残した人物だ。

白を基調とした構造に真紅の絨毯は定番だが、必要以上に煌びやかな装飾にはせず、落ち着いた雰囲気にしている。これはまさに、文明開化の明治期における日本らしさなのだろう。藤田のフランスを感じさせる作風が、当時の日本の方向性を示しているように感じた。

ただ、入館時のセキュリティチェックのオペレーションは素人同然で、自動券売機のインターフェースも最悪。いかにもお役所的な作りになっていて、来訪者の体験、つまりUXという観点では非常に残念だ。訪れたのが展覧会初日ということもあるかもしれないが、公開自体は通年実施しているはずなので、もう少しどうにかなりそうなものだが…

期間中は藤田作品のポストカードをランダムでもらえる。館内の撮影ができないので、それを補完する意味でもありがたいが、数量限定なので早期に終了してしまうかもしれない。

【ドラマ】アレックス・クロス ~狙われた刑事~ シーズン2

基本的な構成はシーズン1と似ていて、特にエピソード1の冒頭では、また同じような話になるのかという失望感を抱いてしまった。ヒスパニック系のコミュニティを扱うところで差別化しようとしたのだろうが、シーズン1のライアン・エッゴールドとカレン・ロビンソンのような圧倒的な存在感はない。

復讐に燃える「ルス」を演じるジーニーン・メイソンは見た目のインパクトもあるものの、反面キャラクター設定がうまくいっていなかった印象がある。いわゆる「きれいどころ」としては無理があるし、心理描写を演技で表現するには物足りない。役者としての資質というよりは、使いどころの問題ではないか。

オルディス・ホッジとアロナ・タルの絡みを中心に据えたのは、シーズン1の反省だろうか。米国ドラマの定番パターンとしては、主役級の男女関係がないのは物足りないと視聴者に思われても不思議ではない。ただ、実際には謀略が底流にあったことがわかり、FBIとDC警察の対立に陥るあたりが一番面白かったのは皮肉なものだ。

作中に登場するストリートアートが、以前代官山のギャラリーで個展を見たことがあるメキシコ人アーティストPaola Delfinの作風と似ていることに気づいた。「アステカっぽい」という台詞もあったが、やはり同じカルチャーに属している人たちの間には、バックグラウンドとしてある種の様式が身についてしまうということなのだろう。

【映画】ダウントン・アビー グランドフィナーレ

ドラマが終了したのが2015年で、その後に映画版が2本公開されている「ダウントン・アビー」を締めくくる作品として、いろいろな事象に区切りをつける内容になっている。グランサム伯爵は引退してダウントンを離れ、メアリーは離婚という大きな節目を迎える。

使用人たちも、執事のカーソンと料理人のパットモアが後進に道を譲る。別れの寂しさは漂わせながらも、ここでは次のステージに前向きに歩みだそうとする気概が表現される。その中でも、モールズリーは相変わらずの損な役回りで、笑わせてくれるところはドラマからのファンには刺さる部分だ。

英国らしさが、そこここに散りばめられている。観劇に競馬、クリケットなどは定番な感じもするが、離婚したメアリーが社会から虐げられてしまう場面は実にシニカル。そもそも英国は国王が離婚したいがために宗教まで改変して英国国教会を立ち上げた歴史を持つ国家だが、それを国民は納得しているわけではないということだろうか。

そして英国と言えば、やはりゴシップ社会。現代風に言えば情報社会ということでもあり、SNSでバズるように使用人や夫人たちを介して情報が伝達される。それをうまく利用する者が得をするという状況は、現代においてもまったく同じことだ。そんな社会からはみ出さないように生きようとして同調圧力につながるのは、日本社会と同じ構造なのかもしれない。

いずれにしても、「グランドフィナーレ」ということは続編はもうないのだろう。それぞれの登場人物の行く末は気になるが、後は想像を膨らませるしかない。そして俳優たちの今後の活躍に期待しよう。

【舞台映像】メリリー・ウィー・ロール・アロング

トニー賞で4部門を受賞したミュージカル作品のブロードウェイ公演を映像化した作品で、主演はダニエル・ラドクリフと「マインド・ハンター」のジョナサン・グロフ、「オールライズ」のリンゼイ・メンデスの3人の友情が崩壊してゆく経緯を、時間軸を逆転させて見せる。

タイトルに含まれる "merrilly" は Oxford Learner's Dictionary によれば "in a happy, cheerful way" という意味。形容詞にすれば「メリークリスマス」のメリーなので、単に「楽しい」というよりも、そこには静けさと温かみも感じられる。

ダニエルがラップのような大量の台詞をメロディに載せて一気にまくしたてる場面は素晴らしかったが、声質が歌唱に向いているわけではないものの、それがまたこの役にはよく合っている。ジョナサンに抱えられてバレエのように舞うシーンも見逃せない。役者たちが涙を流す場面もあり、感情の入り方も凄まじい。リンゼイの歌唱力は圧倒的だし、3人の関係性を動かす中心にいるジョナサンの感情表現は実に多彩だ。

この物語を味わうベクトルを「ヒト」に向けてしまうと、ドロドロした印象とジョナサンが犯した意思決定の失敗ばかりが目についてしまう。しかし、それを「コト」に向ければ本質が見えてくる。

目的と手段を間違うと、取返しがつかないことになってしまう。裏を返せば、ビジョンを見失わないでいれば、「メリリー」に仲間と時の流れに乗ってゆくことができるということ。企業でも同じことだが、中長期的なビジョンを見失って目先の利益を取りに行ってしまうと、すれ違いから組織は分断されがちだ。業績がよい状況が続いていれば誤魔化すこともできるが、ひとたびそうでなくなった時にはツケが回ってくる。ビジョンやパーパスは、道を見失わないための必需品なのだ。

以前、このブログにも書いたことがあるが、作中の "interesting" は「興味深い」と字幕に表記されているものの、実のところ「ふうん」という程度にしか興味がないときに使われる常套句。この場面でも、そんな表情とともに発された言葉なので、真意は明らかだろう。

事前情報の通り、違和感のあるくらいに「寄せ」の映像が多かったが、生のステージとは異なる目線で撮りたかったからだろうか。舞台ではどうしても、客席から役者の細かい表情はつかみにくい。そこを補完する意味においても、製作側の伝えたいこだわりだったように感じた。

公開から時間が経っているので、TOHOシネマズ日比谷では8/13までの上映ということでギリギリ間に合った。映画館のキャパは100席ほどだが、30%程度の入りだったように見えた。2時間半と長丁場ではあるが、とても充実した時間を過ごせる作品としてお薦めしたい。