【映画】ファンファーレ! ふたつの音

「ファンファーレ」というタイトルと冒頭のオーケストラの演奏シーンからは、どう考えても音楽がテーマのように思えたが、実は養子であることを知らずに37年を過ごしてきたティボが自分のルーツを取り戻す物語なのであった。

主人公ティボと離れて暮らしていた弟ジミーとの共通点は音楽のセンス。プロの指揮者であるティボに対し、ジミーは下手くそな炭鉱のアマチュア楽団でトロンボーンを吹いている。それは別に優劣ではなく、音楽への関わり方がまったく違うというだけのことなのだが、ティボの意識にはジミーを引き上げたい思いも見え隠れする。

産みの母の顔は覚えていなくても、彼女が纏っていたタバコの臭いは覚えている。そういう設定だったが、これは嗅覚が記憶と結びついているという考え方を示す好例でもある。僕にとって祖父母の家が障子紙の匂いだったように、ジミーのとっての母親はタバコの臭いだったのだ。

オチが中途半端にも見えたが、ラヴェルの「ボレロ」がプロのオーケストラとアマチュア楽団を結んで、ひとつの壮大な音楽を響かせることの意味は小さくない。直前まで高尚な現代音楽を奏でていたプレイヤーたちが、楽しそうにボレロに参加してゆくモチベーションこそが合奏の原点であって、誰かとパートを分け合って演奏を創り上げる楽しさがなければ、誰も楽器を弾き続けることなどできないだろう。

フランス映画の字幕に「ちげえよ」が出てきたときは、意外を通り越して衝撃を受けたような感覚があった。ただそれは、ティボが音楽理論に裏打ちされた用語を使う一方で、ジミーは率直でわかりやすい言葉を使うことを踏まえた和訳になっているということで納得感はある。

ジミーの住む郊外の街では娯楽は「楽器かサッカー」だが、それはそれで悪くないし、それこそが音楽とサッカーのレベルを日本とは段違いな国にしている本質なのかもしれない。数多くのエンタメが楽しめる社会では、自分たちが目指すキャリアゴールの選択肢も多くなる。その多様性を認めない限り、幸せに生きて行ける人の数は限られてしまうのだ。

【ドラマ】ビリオンズ シーズン6~7

Netflixでの配信がシーズン5で途絶えていたが、ようやく今年になってhuluが全シーズンの配信を始めてくれた。たまたま別のプログラムを見るためにhuluに1ヶ月だけ課金したので、その間に一気に見てみることにした。

前のシーズンでボビー・アクセルロッド役のダミアン・ルイスが退いた影響は、想定していたほど大きくなかった。ポール・ジアマッティが演じるチャックとコリー・ストールが演じるマイク・プリンスを軸に、ワグス役のデイヴィッド・コスタブルやウェンディ役のマギー・シフが絡み、テイラーをはじめとするスタッフたちも相変わらずよい味を出してくれている。プリンスの元妻役で登場するパイパー・ペラーボは、奔放でプリンスを振り回すキャラクターに意外なまでによく合っていた。

不適切な動機を持つ投資家に出資金を返却したように、投資家が自らの資質を証明する必要がある時代への移行は理念的に理解できる。「会社は株主のもの」という発想はすでに否定されつつあり、「会社はすべてのステークホルダーのものであり、その中には株主も含まれる」という方向に向かっていると感じている。

その文脈のコンテンツとして、昨今の株式市場を取り巻くコーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードを皮肉ったようなネタが毎回のように取り上げられる。サプライチェーンに関わる人権デューデリジェンスやグリーンウォッシュも、「やり過ぎ」「見せかけだけ」という見え方に作られているように感じたのは、僕の気のせいだろうか。

いずれにしても、この展開はプリンスのキャラクターを明確にすることで、シーズン7の終盤で対決するアックスとの違いを浮き彫りにする。アックスは自己中心ではあるものの、仲間をその気にさせるモチベーションマネジメントの意識もしっかり持っている。その一方でプリンスは、倫理観に優れた最先端の投資家であると世間に見せつけようとするが、実のところただの実利主義で、自らの利益とエゴの充足だけがゴールなのだ。

政治も、つまりは交渉力だが、その交渉の妙がとても巧妙に描かれている。戦うのではなく妥協点を見出すための会話はまどろっこしくもあるが、同時に極めて戦術的だ。単に相手方を非難し貶めているだけでは、とても政治家とは言えない。妥協点を見出すことも、まさに相手のモチベーションをどうコントロールするかということなのだ。

組織を機能させるために、経営者や管理者はどういうマインドを持って、どう行動するべきなのか。それを問い掛けているのだろうが、あまりにもリアルすぎてエンタメとして楽しむことが難しい領域にまで到達してしまった印象がある。2028年のオリンピックをニューヨークに誘致する活動を経てプリンスが大統領選への出馬を表明し、金持ちから政治家というトランプ大統領のような位置づけになる。まさに世の中の動きを鏡のように映していることも、現実が「笑えない」状況になっていることを示している。

【アイスショー】THE DESTINY

「りくりゅう」のプロデュースということで、予想していた通りチケット争奪戦が激化。仕事を休む準備まで整えていたのに、数次にわたる先行抽選発売でも一般発売でも全滅してしまった。結局、独占配信のためにhuluに課金したものの、日テレプラスの中継もあったので、スカパー経由でそちらを見ることにした。

「りくりゅう」のこだわりでオリンピックサイズのリンクとして辰巳アイスアリーナでの開催となったことで、座席数は 5,000席程度。スタンドは片側にせり上がる形状で、反対側がほぼ一面壁なのがもったいなかった。木下グループの力が後押ししていたとしても、これだけの顔ぶれを集めたのは「りくりゅう」の存在あってのことだろう。

中継の映像は引きが多く、照明を使った演出が控え目だったこともあって、やや選手の顔を判別しにくかった。現地観戦では、なおのこと見づらい面もあったのではないだろうか。その意味では、配信で見るのも悪くないように感じていた。演技そのものは、業かな顔ぶれを巧みにアレンジしたケイトリン・ウィーバーの演出で、ペアとアイスダンスの理解を深めつつ楽しめるものになった。

普段はあまり脚光を浴びることのないペアとアイスダンスの選手たちが、シーズンオフということもあって無理のないプログラムを演じる。ただ、どの選手も楽しそうな表情で競技とは違う一面を見せていたことが印象的だったし、それこそ意味のあることだったように思う。

ビデオで紹介された選手たちのメッセージでは、競技のときとはまったく異なる柔らかな表情を見せてくれた。特にハーセとボロディンは、こんなにフレンドリーな人たちなのかと驚くほどだった。グループでのパフォーマンスでは、一番楽しそうにしていたのはピリネンで、パートナーの折原裕香も公演がこの日で終わってしまうことを嘆くポストをXに上げていた。

エリー・カムも日系の選手なので思い入れはあったと思うが、日本に縁がない選手たちにとっても、目が肥えていて選手にリスペクトを示す日本の観客の前での演技は得難い経験なのだろう。

特に目を惹かれたのは、「カルテット」と題してメテルキナ/ベルラバ組とハーセ/ボロディン組が4人でパートナーを入れ替えながら演じたプログラム。優雅なスケーティングに加え、終盤に見せてくれた2組が重なり合う形でのデス・スパイラルは本当に見応えがあった。

村元哉中と髙橋大輔、小松原美里とティム・コレトも元気な姿を見せてくれ、「ゆなすみ」や「うたまさ」も少しだけ貫禄を増して存在感を示す中で、これからの成長という意味では櫛田幾良と島田高志郎が伸びしろを感じさせる演技で期待を高めてくれた。シャツの背中に「チョクベイ」とカタカナでネームを入れたチョック/ベイツ組は、彼らの実力からすれば流した演技だったが、あの芸術的な身のこなしは絶品なので、まだまだ見せてもらいたいものだ。

【代官山カフェ】Caffè NODO

以前はZenta Coffeeが入っていたLoko Galleryの敷地に出店したCaffè NODO。フードメニューの提供も始まりましたが、アボカドトーストが絶品なのです。カンパーニュ自体がとてもおいしい上に、アボカドと半熟たまごのバランスがよく、添えられたキャロットラペと英国産の塩がまたよいアクセントになっています。

さすがにこの暑さではテラス席で風に吹かれながらいただくことは不可能ですが、もう少し気温が下がった朝には、それもオススメです。コーヒーはエチオピアと迷って、コールドブリューを選択しました。

【映画】歌うたい

アカデミー賞短編実写映画賞にノミネートされた作品。スタイルはどうでもいい。魂の叫びをメロディに載せて吐き出せば、それでいい。僕にはそんなメッセージが伝わってきた。アル・グリーンの "Take Me to the River" やフォークソングの定番「朝日のあたる家」、そしてピアノ演奏つきで歌われるブルースの名曲 "It Hurts Me Too" もあれば、ワーグナーのオペラ「ラインの黄金」を歌う者まで現れる。

原作はロシアの作家ツルゲーネフと聞けば、寒い土地を思わせる。場末のバーで始まった100ドル紙幣1枚とビール1本を賭けた歌い手たちの即興コンペティションが盛り上がり、18分間の作品の中では勝者は決まらない。それぞれの「歌うたい」が自らの思いを表現するが、その優劣には触れられないところにダイバーシティ&インクルージョンの思想が透けて見える。

それぞれの思いをそれぞれのアプローチで表現するときに、それらすべてを一律に「評価」する指標など存在しない。自分の尺度でしか相手を見られないと、「自分の方が上なのに、なぜ自分は評価されないのか」というネガティブな思いに陥りがちだ。MVPと得点王がイコールではないように、観点によって評価される対象は異なるということを理解すれば、もう少し前向きな人生を送ることができるだろう。

自分がこの場に立ち会っていたら、何を歌おうとしたかを考えてみた。すぐに見つかったその答えは、ジョー・コッカーの "I'm So Glad I'm Standing Here Today" だった。クルセイダーズのアルバムに「明日への道標」として収録されているこの曲は、ジョーのしわがれ声で前向きな感情を絞り出すところが好きでよく聴いた。例えば演歌で奇を衒って勝負するよりも。相手の土俵で一戦交える方が気持ちがより通じそうな気がするのだ。

【コミック】BLUE GIANT MOMENTUM (8)

コンテスト優勝の看板をひっさげて、いよいよ「DAI MIYAMOTO MOMENTUM」の全米ツアーが開幕する第8巻は、ひたすら移動して演奏するロードムービーのような展開になっている。そして、キーボード奏者アントニオの性格や演奏への思いにフォーカスが当たり、これからの展開を予感させる作りになっている。

その中で、ラジオでバンドの音を聞いた高校生が、父親にせがんでジャズクラブに友人2人と一緒に連れて行ってもらい、生演奏を聴いて衝撃を受けるというエピソードが感動的だった。何の予備知識もない、そして「かっこつけたい」とか「モテたい」といった、この年代にありがちな欲求も抱かない若者たちを純粋に感動させる音楽はやはり素晴らしいし、それをマンガという二次元の無音の世界で表現してしまうのだから石塚真一には恐れ入る。

まだ売れていないバンドのツアーはライブハウスのスケジュールが優先されるため、直線的な移動にならずに行程が錯綜する。この第8巻では、終演後のCDの手売り、レーベルの思惑とバンドの意向のすれ違いなど、音楽活動に付随する「裏の顔」も描かれていて現実味が詰まっていた。音楽もまたビジネスであり、よくある「アートとプロダクトの対立」問題も起きてしまうものだ。

レーベルで宮本大のバンドを担当するパトリックが飛行機でミルウォーキーに向かう際、隣の席の搭乗客が「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読んでいた。「A」の文字がデルタのような三角形になっているのが特徴的なのだが、わかる人だけわかればよいネタを仕込むスタイルは嫌いではない。

【ドラマ】アレックス・クロス ~狙われた刑事~ シーズン1

主演のオルディス・ホッジは「レバレッジ」でITオタクのアレック・ハーディソンを演じているが、それとはかなり違った演技を見せているという話を聞いて興味を持った作品。「ブラックリスト」でのトム・キーン役の印象が強いライアン・エッゴールドが、同じ系統ながら一際クセの強さを高めた役柄を演じている。相手の弱みと言うか、望んでいることを把握した上で、そこをうまく突いて利用する。そんな「ずる賢さ」を表すには、ライアンは最適なキャスティングだった。

米国では、黒人の警察関係者はいろいろとやりづらさを感じるところだが、アレックスは法心理学の博士号を持っているために別枠のような扱いになっている。ただ、犯罪者の心理を読むことが物語の主軸に置いている感覚はそれほどなく、捜査を進める上での便利なショートカットにしか見えない点は物足りない。

警察署長や幹部が社会に対する体裁を気にするのはいつものことだが、ここの署長のアクの強さは別格だろう。そしてアクの強さでは引けを取らないナンシー役のカレン・ロビンソンは、「シッツ・クリーク」のロニーほどには目立っていなかったが、最後の最後で一気に存在感を引き上げた。やはり、あの目力は只者ではなかったということだ。

「シール・チーム」でクレイの妻ステラを演じたアロナ・タルは、本作でのケイラ役の方がハマっている。「シール~」では頭の回転が速そうな正統派の雰囲気が満載だったが、こちらでは落ち着いた大物感が増し、危ない橋でも渡れそうな貫禄のある演技を見せてくれた。