【Netflix】Formula 1: 栄光のグランプリ

NetflixのF1を扱ったドキュメンタリーは、原題の"Drive to Survive"は韻まで踏んでいる秀逸なネーミングなのに、日本語になったとたんに使い古された言い回しになってしまったのは残念だ。日頃から脚光の当たるドライバーだけではなく、チームの代表やオーナーといったマネジメントサイドの人物も取り上げ、チームとして、ビジネスとしてのF1を伝えているとことが斬新だ。

ただ、見ていて感じるのはマネジメント側の人間たちのビジネス志向というか、モータースポーツとしてのF1からはかけ離れた印象すら受ける言動には辟易してしまう。ちょうどテニスでも加藤未唯の失格を巡って、対戦相手のスポーツマンシップ欠如が話題になっているが、メルセデス代表のトト・ウォルフやレッドブルクリスチャン・ホーナーがやっていることは、ある意味ソリベストリモと同じ類いの行動なのだ。ライバルチームの違反を告発したり、情報戦を仕掛けたりということだが、告発される方も決して濡れ衣を着せられているわけでもないところは、テニスとはかなり印象が違う部分だ。

ドライバーにしても、やはり金持ちのおぼっちゃんとして育ってきた人も多いのだろう。「自分は何をやっても許される」という感覚に近いものが滲み出ている。ルイス・ハミルトンにしても角田裕毅にしてもそうだし、マゼピン親子などはまさに金に物を言わせていて、印象は最悪だ。そんな中で、セカンドドライバーの悲哀を滲ませながら自分の役割をこなすバルテリ・ボッタスや"チェコ"ことセルジオ・ペレスにシンパシーを抱いてしまうのは日本人の性だろうか。

その昔、ホンダ/鈴鹿サーキット系の企業でアルバイトをしていた僕にとって、ホンダのエンジンやF1参戦はとても身近なこと。ホンダは様々な形で断続的にF1に「参戦」しているが、やはりフルコンストラクターというポジションでないと、消化不良な感じは否めない。カーボンニュートラルの世の中において、上場企業として難しい判断であることはよくわかっているのだが…