【映画】シカゴ7裁判

Netflixで配信中の映画「シカゴ7裁判」は、一部劇場でも公開されるアーロン・ソーキン監督による作品だ。裁判モノの映画やドラマ、小説などでは、たいてい被告と原告の争いを描く。刑事事件であれば、検察と弁護士という構図だ。そして大半が、その片側の主観に沿って描かれる。しかし、この作品は民主党大会に対するデモという人権問題を扱っているかのように見えながら、冒頭でいきなり検事補の人間性をポジティブに描いており、どんなストーリーが展開されるのか興味と期待を持って見進めることになる。

答えを書いてしまうと、この作品は判事、もしくは米国の裁判システムそのものに対する批判がベースになっている。普段、米国ドラマを見ていると、法廷で判事が我が物顔で権力を振るうシーンが描かれ、ときにイラっとすることもある。本作では、中盤まで神のように裁判を支配していた判事が、最後の最後でアンコントローラブルな状況に陥ってしまうのだ。これだけでも、快哉を唱えたくなる米国人は多いのではないか。

役者もなかなか個性的。エディ・レッドメインはいかにも彼らしく、自由奔放な集団の中では知性とバランスを感じさせる演技ながら、事件の発端となるアジテーションを行ってしまったことを知った際の表情には見応えがあった。そして、「Succession(キング・オブ・メディア)」でケンダル・ロイを演じるジェレミー・ストロングが、本作ではまったく雰囲気の違うヒッピーを好演しており、見比べると彼の役作りのうまさが光っている。