【エリザベス女王】在位79年で薨去

あえて「薨去(こうきょ)」という語を使ったが、メディアはほぼ「死去」で統一しているようだ。皇族のような高貴な方が亡くなったときには「薨去」や「崩御」を使うのが日本語の奥深さのように思っていたが、ダイバーシティの時代にはフラットな表現を用いるということだろうか。それにしても「逝去」という一般的な訃報で使われる単語を、なぜ使おうとしないのかはわからない。

先日のプラチナジュビリーでの祝宴にも参加し、最近では新首相の任命など公務を務めていたように思っていたが、かなり無理をされていたのだろう。配偶者のエディンバラ公フィリップ殿下が99歳で亡くなり、ご自身もコロナウイルスに感染するなど、心身ともに弱ってしまうファクターは重なっていたから、そんな中でも女王としてあろうとされた結果なのではないかとも思う。

英国ではボリス・ジョンソンが退陣してトラス首相が誕生したタイミングだが、彼女のフルネームは「メアリー・エリザベス・トラス」。立場は違えど、新たなエリザベスに英国は委ねられた。Brexitからエポックメイキングな出来事が続く英国だが、伝統は変化を見せるのだろうか。

【ストリートアート】Kenta Senekt

朝の通勤の途中で中目黒を歩いているときに、たまたまこのミューラルに遭遇。大阪など関西に多くの作品があるKenta Senektの作品でした。インスタ情報によると、この4日前に描かれたできたてのミューラルなので、この日に出逢えたのは本当にラッキーですね。中目黒にしては、ちょっとクールな作品ですが、存在感は十分。ちなみに場所は、中目黒肉流通センターです。

【原田マハ】スイート・ホーム

原田マハといえばアートや画家などの史実をベースにしたフィクションだが、本作はそれらが絡まない連作短編だ。短編ごとに主人公は変わるものの、とある街に住む女性という部分は共通する。通俗的にいえば「関西の住宅街に暮らす女性たちの群像」だが、洋菓子店を営む親子だったり、その客の料理教室講師だったりと年代や状況はかなり異なる。

そのせいもあるのかもしれないが、もともと原田は説明的な描写が多い小説家。はっきり言えば「説明が多すぎる」のだ。だから連作短編ともなれば、それぞれの作品で主人公のバックグラウンドや設定が細々と描かれる。それ自体はよくあることではあるが、会話に忍ばせたりすることもなく、戯曲のト書きのように説明的な文章が続くので、個人的には興味を削がれてしまうのだ。

ただ、クライマックスの見せ方はさすがだ。それぞれの短編の主人公の気持ちが最高潮になる部分を巧みに切り取り、絶妙な会話で表現する。電車の中で読んでいると、思わず胸が熱くなってしまったが、幸いマスクをしているので周囲に表情を読み取られることはなかったはず。でも、そのくらい読ませる作品ではある。短編ごとにヤマが来るので、その頂点も何度も訪れるから、心の準備をしておいた方がよいかもしれない。

【Caught a Ghost】Human Nature

ドラマ「ボッシュ/BOSCH」のオープニングテーマに使われていたCaught a GhostのCan't Let Gpが気になって、アルバム「Human Nature」をダウンロードした。「ボッシュ」ではトランペットの音をフィーチャーして、とても印象的な音作りになっていたのだが、アルバムで聞くとまったく印象が違った。遠くでラジオから流れているように聞こえる感じの雰囲気で、その後のライム的なリフもオープニングで聞くよりもおとなしい印象だった。こんなにも違う音楽として聞かせてくれることが意外でもあり、新たな発見に心がときめいてしまったこともまた事実だ。

アルバム全体の印象は、ソフィスティケートされた上質な音楽の要素をちりばめた玉手箱のような作りで、個人的にはシャカタクスタイル・カウンシルを思わせる。なかなか通じない表現だとは思うが、耳に残るリフをポップに仕立てながら、多様な音楽性を滲ませるあたりにその傾向を感じてしまうのだ。そして、タイトルチューンのHuman Natureは、マイケル・ジャクソンの同名曲へのオマージュかと思うほど、"human nature"という単語のイントネーションというか、音の処理が似ているのだ。

英語版のWikipediaによれば"indie electro soul band"という位置づけなのだが、ジャンルを意識するよりも、その高い音楽性に浸りながらそれぞれの要素を味わうのが正しい鑑賞法ではないだろうか。アルバムとしての完成度や一貫性は高く、飽きのこない作品に仕上がっている。

【大地の芸術祭】カバコフの棚田


一番この芸術祭らしい作品ともいえる、カバコフの「棚田」。まつだい駅前の広大な棚田に点在するカラフルな案山子のような作品群です。本来は詩のテキストと絡めたアートなのですが、一緒に写すのは難しかったのであきらめました。かえってこの方が、自然とのコラボが明確になるような気もします。

【ドラマ】ボッシュ:受け継がれるもの

BOSCH/ボッシュ」のスピンオフだが、原題のLegacyをうまく意訳したタイトルだ。基になる「ボッシュ」が刑事ハリー・ボッシュを指すのに対し、本作の「ボッシュ」はハリーと娘のマディの両方を含めていると思われる。そのあたりのニュアンスが「レガシー」では伝わらないので、日本語版の制作陣は相当に考え抜いて決めたのだろう。

ベテラン刑事ハリーが退職することは本編で語られていたが、入れ替わるように警察に就職したマディが新米警官らしい演技を地のようでもあり、巧みな演技のようでもある見せ方で表現している。体形はアスリートで走り込む姿も描かれるが、犯人を追って走り出すマディを見ていると、とても追いつけそうには思えない。これが演技というか、演出によるものなのであれば、とてつもないこだわりだと感じる。

ハリーは私立探偵になり、その登録手続きのシーンがあるのだが、米国の探偵資格の確認の中で「公職としての捜査経験」が一定時間もとめられているようで、いかにも警察官のセカンドキャリア支援策のように見える。日本語では「私立探偵」だが、英語で言えばPrivate Detectiveなので、つまりは「個人事業の刑事」ということだ。ドラマでの描き方を見ていても、米国の警察制度では刑事は普通のパトロール警官より格上であり、「刑事」という呼称が敬称のように使われる(FBI捜査官のAgentも同様)。このあたりは日本で生活していると、なかなか理解できないところだ。

 

【新潟―大分】気持ちで負けない

今日の大分は、序盤から勝てそうな予感があった。それは早い時間に先制したからではなく、前線からの厳しい守備に、負けない、奪い取るという意識がありありと窺えたからだ。高い位置からプレスを掛け、90分を意識せずに、行けるところまで行こうという気持ちが特に梅崎と中川から伝わってきた。中盤のインサイドは保田と弓場がしっかりと固めていて、そう簡単に決定的な場面を作られることはないだろうという確信を持てたほどだ。

そして、もうひとつのポイントはハーフタイムの修正。ボールを奪いに行く位置を下げ、あまり深追いはしなくなった。もちろん、シャドーの二人のスタミナということも考慮したのだろうが、それ以上に裏を取られないリスクマネジメントを徹底したのだと思う。これによってブロックが堅固になり、さらに守備の強度が上がった。ときに大分は、持たされて攻めあぐねる展開を強いられることがあるが、今日はそれを逆手にとって新潟を苦しめた。これはポゼッションサッカーを志向するチームには、なかなか厳しい展開なのだ。

最後の1枚の交代は井上を下げて小出を入れることで、井上と屋敷という攻撃的な選手がサイドに残っている状況を避けたかったはず。ただ、弓場はもう限界を迎えていたので、下田への交代は致し方ないところだろう。三竿がすかさずキャプテンマークを渡したあたりも、心理的に余裕があったのだろう。選手がそろわない中、ここからも厳しい戦いが続くが、今日のように気持ちで負けなければ大丈夫だ。