【朝日新書】人類の終着点

エマニュエル・トッドマルクス・ガブリエル、フランシス・フクヤマらの知見がアンソロジーのように詰め込まれた一冊は、「戦争、AI、ヒューマニティの未来」という副題が添えられている。ウクライナパレスチナでは戦いが起こり、生成AIが人間の領域に進出することによって、変わりつつある世の中の枠組みを読み解くヒントが随所に散りばめられた内容だ。

ダイバーシティインクルージョンの観点では、属性によるセグメンテーションを行うことによって、かえって多様化が阻害されるという問題が提起されている。マイノリティに配慮しているようでも、結果的にその人を型に嵌めることになり、かえって残酷な状況に追い込んでしまうということ。アカデミー賞授賞式でも、人為的にダイバーシティインクルージョンを見せようとして、かえって差別意識を浮き彫りにしてしまったという見方もある。

道徳的実在論と道徳的非実在論(=相対主義)ろいう切り口からは、「普遍的な道徳は存在するのか」という投げ掛けがある。実は僕は、大学で社会学専攻の卒論のテーマとして「宗教的倫理観が衰退した世界に、普遍的道徳は不可欠だ」という論点を扱った。それなくしては、弱肉強食に回帰してしまうという危機感があった。

しかし、今やウクライナでもパレスチナでも「他人を殺す」ことが禁忌ではなく、自らの価値観で正当化してしまう状況があるので、相対主義としか言い様がない。つまりは、絶対的な正義は存在しないし、ゆえに争いを収める論理もあり得ない。「話せばわかる」は夢物語でしかないということだ。

エマニュエル・トッドは「輝かしい民主主義の時代はもう戻ってこない」と語り、「資本主義がダメなのではなく、現在の資本主義は中途半端なのだ」と主張する。資本主義が完成形であれば、例えば転職やプラットフォームの選択が広く保証されて、自由を享受できる。それがないということは、資本の偏在や参入障壁など未解決の障壁の存在を意味する。転職先がないとか代替プラットフォームがなく寡占状態だということだ。

量子論は、法則性はありながらも確率と共存する世界。集合としては法則に従いつつも、個としては確率に運命をゆだねる。人類としての未来が明るいか暗いかに関わらず、個としては人生を楽しめる可能性があるという解釈は成り立つのかもしれない。