【ユヴァル・ノア・ハラリ】ホモ・デウス

「テクノロジーとサイエンスの未来」というサブタイトルがつけられているが、そんな前向きで明るい未来の話ではなく、コンピューターやアルゴリズムが人間の思考や感情を超えたときに我々はどうなってしまうかという内容だ。ある意味ディストピアのようでもあるが、それは確実に迫りくる時代の流れにも思える。ただし、アルゴリズムが世界を支配する上では、そのインフラを人間が作り上げてすべてを自動化する必要がある。それを、本当に(どこかの個人としての)人間が意図して実行するのだろうか?

序盤に書かれている「神と宗教が死に、国家や個人の自由がそのポジションに来た」という主張は、まさに僕が大学の社会学専攻を卒業する際に書いた「道徳教育における個人主義」という論文に通じる。宗教が衰退した時代に人間が社会を形成する上では、弱肉強食にならないために何らかの規範が必要だということなのだが、ハラリはそれを共同幻想というアプローチで語る。宗教も共同幻想なら、国家も同じ。国家が存在するなら神も存在するということが、ここに書かれている。これはまさに、吉本隆明の「共同幻想論」そのものだ。

ハラリはまた、資本主義は分散型のデータ処理であり、共産主義は集中型であると説く。資本主義や自由市場が勝ち残り、共産主義が衰退したのは、これだけ情報量が増えて錯綜する時代に少数の権力者がすべての意思決定を担うことが不合理だから。これは政府が目下推進しようとしているアジャイル・ガバナンスの考え方でもあり、プログラミングにおいてもアジャイルの潮流は明確にある。先進国家は、確実にこの方向に向いているのだと思う。

分散型を進める上では、人は演算装置としてのプロセッサーであり、その数を増やしたり種類を取り交ぜたりすることが社会の進化につながる。異業種交流の意義もここにある。人事や組織、ガバナンス、企業風土といった僕の専門領域に通じるヒントが、この書籍の中には数多く盛り込まれていた。