【栃木―大分】責任の不在と温さ

最近の大分トリニータのサッカーを見ていても面白くないのは、ゴールが生まれそうな予感がしないからだ。得点の匂いがしない一方、失点の匂いはたちこめている。特に終盤になると、その傾向が強まる。そして公式サイトで発信する情報が、完全に子供の部活を見守る親の目線になっていることもある。例えば下平監督は試合後に、

>> プランどおり選手たちも遂行してくれて、準備してきたものをしっかり発揮してくれたと思う

と言っている。あれがプラン通りなら、いつ点が取れるのか。そして梅崎に対してインタビュアーの振りは、

>> 前半は相手を圧倒した展開になった

となっていて、梅崎もそれは否定しない応答をしている。「相手を圧倒」とは前半で3点くらい取ってこそふさわしい表現であって、攻めあぐねたあげくにどうにか1点取ったことを指すものではない。

大分の前半は、栃木にサイド攻撃を消されたことで手詰まりになり、ボールは持てども崩せない展開だった。サイドでボールをこねくり回しているとき、インサイドはどうなっていたか。15mくらいの幅の中に攻撃的な選手が結集してしまい、相手も同数以上がそのエリアにひしめいているから、スペースなんてあったもんじゃない。弓場のゴールが生まれたのは、本当に奇跡的なのだ。

だいたい弓場は守備的な選手。攻撃面を期待されてピッチに送り込まれた選手は、誰一人ゴールを決めていない。その中では決定力のある藤本は左サイド、渡邊は下がり目の位置でゴールから遠く、ゴールに近い伊佐は決定力に掛ける選手だ。そして、終盤に長沢を投入しながら、DFラインでボールを回してしまって長いフィードも送らない。これでは意味がないし、選手のストロングポイントも完全に無視されている。

いま、このチームから感じるのは責任の不在と、それに起因して蔓延する温さだ。クラブも監督も温いから、今後の期待も高まらない。宗教のように「信じる」だけでは、何も変わらないのだ。