【TOKYO 2020】パラリンピック閉会式

素晴らしい演出と構成、そしてキャスティングだった。開会式で提示されたテーマが実際の競技のシーンでしっかりと肉付けされ、閉会式ではさらに広げて障害だけではない「共生」が高らかに奏でられた。まるで、結論としてここに落ち着かせるためにパラアスリートたちががんばっていたかのように、最後の最後で選手たちの努力にさらに高い次元での意味づけを与えるような閉会式だった。演出の小橋賢児は、僕の中では若手俳優というポジションのまま止まっているが、気づかぬうちにキャリアを変え、驚くほど進化していたということのようだ。

東京の現在を描く中で、渋谷に集う若い世代の時代感覚を正確に表現していたと思う。もちろん渋谷には夜通しバカ騒ぎをしているような人種もいるが、アートやスポーツ、コミュニティ活動、国際化などの視点から見れば、若い世代は自由にしなやかに「今」を生きている。そんな新しいカルチャーのコンテキストを、閉会式では多少のデフォルメを伴いながらも的確に描いていたと思うのだ。そして、バトンを受け取るパリでは、エッフェル塔に義足を履かせるエスプリや視線の動きで音楽を生み出すテクノロジーが描かれる。それもまた、東京からの流れをしっかり受け継いでいた。

ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」の階段下からの中継は、オリンピックのときはナイキを連想させられたが、今回は不完全な容姿の背後に輝くような翼がパラアスリートの活躍に、そして開会式の片翼の飛行機のストーリーにオーバーラップした。パラリンピックはオリンピックの添え物のように捉えられることも多いが、今回の流れにおいてはオリンピックはパラリンピックの前座だったのかもしれない。高いレベルの競技ではあるものの商業主義とエゴや名声への渇望に侵食されたオリンピックの後に、純粋な向上心と共生のストーリーが続く。ここにこそ、スポーツの魅力と意味があるのではないだろうか。