【村上春樹】一人称単数

村上春樹の新しい短編集を読み進めながら、違和感が増していった。果たして、これは小説なのだろうか、ノンフィクションのエッセイではないのだろうかという思いだ。そして、ある作品に至って、それが明らかに創作であると確信する。そしてあらためて考えてみると、フィクションかどうかを判定することには、何の意味もないことに思い至った。

目の前で起きた事実に極端な解釈を加えたら、それはもうフィクションかもしれないし、起きてもいない妄想を事実だと信じ込んで書けば、それは作者にとってはノンフィクションなのだ。この連作短編のそれぞれには、おそらくフィクションとノンフィクションの境目というか、シミュレーションゲームで言うところの分岐が存在する。そして、そのポイントに興味を持って掘り下げたくなったからこそ、その作品が書かれたのだろう。僕もかつて掌編小説を書いていたが、やはり事実として事象の起きた瞬間があって、その解釈を描きたいというモチベーションで筆が進んだものだ。

普段の生活の中に突然訪れる非日常な瞬間。僕は毎日それを見出したいと思って生活しているし、達成した日は幸せな気分で一日を振り返ることができる。それが、単調になりがちな生活を充実させるための、ささやかな抵抗なのだ。春樹の小説も、もしかしたら同じようなモチベーションが介在しているのではないだろうか。