【村上春樹】ドライブ・マイ・カー

村上春樹の新しい短編集「女のいない男たち」を発売日に購入し、まずは「ドライブ・マイ・カー」を読んでみました。一人称ではないけれど、主人公の視点からの語り手によって展開します。説明的な文章が続くものの、その中身はとても濃密。僕が短編小説に求めるものが、すべてそこにありました。

ちょっとした比喩や言い回しにも、しっかりと推敲された意図が感じられ、他の語では言い表せないニュアンスが籠められています。だからこそ僕自身と違う言葉の使い方、例えば「マチネ」ではなく「マチネー」を使っていても、違和感は覚えません。

この作品には初出時からの改変があります。実名で「中頓別町」という地名を使っており、この街出身の女性が煙草を車から外に捨てる場面で「たぶんそこではみんなが普通にやっていることなのだろう」という感情を持ったことを書いています。それに対して中頓別町議らの抗議を受けたため、単行本では「上十二滝町」という架空の町名に変更しているのです。

この部分の展開はあくまで主人公の感情であり、まったく違和感なく読めます。町名が問題なら架空の町名にしなくても、言い回しを変えることは十分に可能だったはず。それでも、あえて改変を最小限にするためにこの変更に至ったのでしょう。町名を変える方が、表現を変えるよりも村上春樹の矜持に当てはまったのだと感じました。

その意味で、やはり文学に「β版」に概念はないのでしょう。アプリケーションやソーシャルゲームのように、不完全でも世の中に出してからユーザーの声を聞いてアジャストするのはマーケットありきのプロダクトの世界。アートは究極のプロダクトアウトだからこそ、一度世に出したものを抜本的に変えてしまうことはありえないのでしょうね。

最後の見開き2ページまで読み進めたとき、僕の頭の中にはビートルズの「ドライブ・マイ・カー」のサビ"Baby, you can drive my car. "が流れ始めました…