【箱根駅伝】ニューイヤー駅伝の影響

今日の箱根駅伝往路の中継で気になったのは、沿道の観衆に対する過度ともいえる対応だった。選手の邪魔にならないようにという依頼を実況のアナウンサーもしていたし、先導の白バイ隊員も普段以上に声掛けしていた。元日のニューイヤー駅伝2区で、コニカミノルタのクイラが沿道から飛び出してきた犬を避けようとして足を取られ転倒。その影響がなければ、タイム上はコニカミノルタが優勝したトヨタ自動車を上回り得たという出来事があったからだろう。

ラソンや駅伝はどの大会でも、沿道でテレビ中継に映り込もうとする人や選手に触れかねない距離で旗を振る人、選手の速度を確かめるように歩道で走り出す人がいる。大会の障害になるし選手も観衆も危険なのだから、それを予防しようとする措置は当然だ。しかし、一方で沿道の住民にとっては、短時間とはいえ生活に制限が加えられるのも事実。東京マラソンで実感したが、目の前の道路を渡ることが何時間もできないこともあるからだ。

このような状況で、大会運営に過剰な負担を求めてしまうと、それは大会の開催を危うくする。要は、開催できる大会が減ってしまい、走る楽しみも観戦する楽しみも減り、長距離種目の底辺も狭まってしまうということだ。マラソンや駅伝はロードレースなのだ。箱根駅伝もかつては、鉄道の踏切で電車の通過を待つことがあったし、路面の状態や給水の有利不利など、完全な公平さは絶対に確保できない。そんな条件の中で争うのがロードレースなのだ。

例えばクロスカントリーで、「斜面に足を取られて転んだから負けた」と嘆いても仕方ない。ロードレースとはそんなものだ。もちろん、主催者は条件を可能な限り公平なものにする努力を惜しむべきではないが、だからといってそこで起きた有利不利を「たられば」で蒸し返しても意味がない。

最近の世の中は、このような行き過ぎた潔癖主義が横行していて、その風潮がかえって自分たちの生活を窮屈にしているように思えて仕方ない。