僕にとってのデアデビルは、ドラマ版がベースになっている。コミカルな要素を交えつつも、基本的には「正義感」に駆られて行動する人物という認識なので、「憎悪」を前面に出すベン・アフレックの表情がなじめなかったし、ダークな一面を強調して過去を振り返るあたりの設定にも違和感があった。
物語の構成は説明的で、ドキュメンタリーフィルムを見ているかのよう。扱うエピソードが多すぎて、深掘りできずに表面だけをなぞっている感じが否めない。ただこれは、僕がディレクターズ・カット版で見た影響もあるかもしれない。
本作は2003年の公開だが、今の世の中なら「キングピン」ことウィルソン・フィスク役に黒人のマイケル・クラーク・ダンカンを起用するのは難しいだろう。悪の権化のようなヴィランを、本来の姿とは異なる人種に置き換えることは、人種差別的な意図を感じさせかねないからだ。ヴィンセント・ドノフリオのイメージが強すぎるだけに、他の誰が演じても無理があるように思えてしまうのは仕方ないが…
ジョン・ファヴローが演じるフォギーは意外にハマっていて、うまい演出に見えたが、一方コリン・ファレルを起用したブルズアイは「やり過ぎ」なキャラ立ちをあえて狙った結果として、説明的な物語の中でそこだけ浮いてしまった印象がある。隠し味のはずが、悪目立ちしてしまったということだろうか。
時系列でいえば映画版はドラマ版より古いのだが、ドラマを先に見て映画で補うという見方の方が合っているように思う。この映画版は、デアデビルというキャラクターの全体像を理解するには向いているが、話の面白さとしてはドラマ版が上だからだ。