【レイチェル・カーソン】センス・オブ・ワンダー

とあるクリエイティブな人がInstagramに上げていた画像で興味を持って、手に取ったエッセイ。この作品が気になったのは予感のようなものがあったからだが、それは正解だった。作品の中でレイチェル・カーソンも「目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです」と書いているが、僕の好きなステレイテナーの楽曲「Graffiti」の歌詞にも次のような一節がある。

 

子供の目には見えていた

探さなくたってそこにあった

見失って気付いたのさ

必要以上に知り過ぎたと

(詞: ホリエアツシ

 

見ようとしなければ見えないものごとに気づいて心が動くことで、人は感受性が磨かれ、そして人生が豊かで実り多いものになる。

僕がストリートアートに興味を持つのは、誰もが見ていながらその価値に気づかないことも多いということ、そしていつ消されてもおかしくない偶然性があることが影響しているのだと感じた。その興味とは、幼い頃に小学校の裏山を探検したり、夜明け前の空を眺めて流れ星を見つけようとしたりしたことに通じていて、偶発的に一瞬だけ見られる何かの現象に出会う喜びの追求なのだと気づかされた。

その意味では、僕がこの作品に出合うことも必然だったのかもしれない。何かに導かれた感覚が、強く残っている。