【小説】ピアノマン ~BLUE GIANT 雪祈の物語~

この作品を手に取る読者は、ほぼ100%結末を知っている。コミック「BLUE GIANT」を読んでいれば、沢辺雪祈がどうなってしまうかわかるはずだ。原作にも関与している南波永人の手によって雪祈の視点でノベライズされたこの作品では、起きるべき事象に向けて展開の妙を打ち出す必要はない。そのときに雪祈が何を感じ、何を考えたのか、それらを文字で表現することに期待が集まるはずだ。そして本作は、その期待を一切裏切らない。

ジャズが音符ではなく絵として表現されている原作コミックに引けを取らず、本作ではジャズが、いや音それ自体が巧みに言語化される。単に音色としてだけでなく、プレイヤーがその音に籠めた思いまでも、日本語としてここまで表現できるものなのかと思うくらい強烈に伝わってくる。「Story Director」という肩書で「Number 8」というクリエイターがいたからこそ、石塚真一はあれだけ音を絵に描けたのだと、あらためて確信した。

言葉の選択も素晴らしいが、ジャズにテーマとソロというパートがあるように、脚本にト書きと台詞があるように、小説の中でこの転換を使い分ける技術も見事だ。一文ごとに改行して、スピード感の中で畳みかける部分。短文が続いても改行せずに、心の深みに下りてゆく部分。登場人物の思いに書き手の思いがオーバーラップすることで、伝えたい感情が増幅されて伝わってくる。結末がわかっているのに、何度も泣きそうなほどの感情が押し寄せてきたのは、そのせいに違いない。

雪祈は日本のジャズシーンを背負うような気持ちを持っている。それは自負でもあり、与えられた天賦の才能を持つ者の矜持にも思える。自分がしくじれば、それに関わる多くの人が収入を失うかもしれないし、それは現在の事象に留まらず未来に向けた負債にもなりかねない。だからこそ、良い演奏をするために努力を続ける。

これは社会人にとっては、共通することなのではないだろうか。自分の与えられた領域がどんなに狭いとしても、その行為は社会全体の一部をなしている。そのことを自覚して組織やコミュニティに貢献しようとする意識こそがコミットメントであり、その集合体がCSRなのだ。そんなことにも、この作品は気づかせてくれた。