【アジアカップ】イラン―日本

ノックアウトステージの戦い方は難しい。延長戦を意識しておかなければならないからだ。特に今回の準々決勝イラン戦では、中2日という過密日程は同じながら相手は水曜日に延長戦まで戦っており、長い試合になれば日本有利という「状況証拠」もあった。「策を残しておくことが美徳」ということは、日本人の思考にありがちな発想だから、森保監督の発想が理解できないわけではない。

ただ、疲労がより蓄積しているイランにしてみれば、90分で決着をつけたいのは間違いなく。だからこそ、前半から激しい闘志で日本代表を削ってきた。その状況を読んでの前田と守田の起用だったことだろう。

さて、それでは、日本はどのようにゴールを奪うプランだったのか。試合を見る限り、サイドで起点を作って上田に決めさせたかったのだろう。しかし、イランが十分すぎるほどにケアしているサイドに人を割いた結果、中の陣容がスカスカになった。個人名を挙げるなら、久保はサイドに流れたり下がって受けたりすることが多く、上田のサポートができなかった。これが最大の問題だったように思う。

サイドを抑えられたときに、インサイドでどう勝負するか。そのプランBがなかったし、久保も堂安もそこまで意識が及んでいたようには見えなかった。もっといえば森保監督も、「後半は相手が疲れて動けなくなる」という前提を変えられなかったのではないだろうか。

同点に追いつかれた時点でも交代カードを切らず、イランが勢いづいた状況で三苫と南野を投入するも、二人は試合に入り込む前に終わってしまった印象だ。南野も負傷明けの三苫も、流れを変えるには適切ではなかった。逆に「鬼プレス」が有効だった前田を下げたことで守備の強度まで下がってので、彼を残す選択肢もあったはずだ。

あの状況で一番必要だったことは中盤の立ち直しであり、それならば佐野を投入する必要があった。この試合を通して遠藤のパフォーマンスは良くなかった。守田がアンカーのポジションにいる場面も多かったし、遠藤は彼にしては「消えていた」とすら言える。

そう考えると、そもそもの代表選考にも触れておく必要があるだろう。田中碧がいれば投入しただろうし、あの場面で投入できない佐野を呼んだ意味は何かということだ。経験の浅い鈴木彩艶の起用や細谷の選出もそうだが、アジアカップを「育成の場」と軽視していたのは明らかで、それでも勝てるという驕りはなかったか。

板倉のプレーはまったく評価できないし、敗戦の直接の要因であることは間違いない。ただ、その結果につながった多くの事象を見ずに個人を責めても意味はないだろう。伊東が離脱していなかったとしても、サイド偏重という問題は同様に存在したはずだ。