【映画】Tar/ター

冒頭にいきなり長い語りの部分があり、作品を味わうというよりロジックを理解することが求められることに違和感があった。しかし、これはこの作品が理詰めであることを予告する意図があったのではないかと、見終わった後に考え直すことになる。その「理詰め」を感じた象徴的なシーンは、主人公リディアが「自分はユダヤ系ではない」ことを主張するところにある。

この部分には唐突感があり、なぜここでこの主張をする必要があるのかと、首を傾げた人も多いだろう。しかし、これには理由がある。リディアが師事した指揮者レナード・バーンスタインと彼が得意としていて今回も演奏することになる作曲家マーラーは、ともにユダヤ系なのだ。僕も序盤の展開から、リディアもまたユダヤ系なのではないかと思って見ていたところだったので、それを自身の口で否定されたことで、先入観を持って本作を見てしまうことが回避できたことになる。何気ない台詞に、ここまでのロジックが詰め込まれているのだから、まさに理詰めと呼んで差支えないだろう。

クラシック音楽は、高尚なアプローチで語られることが多い。楽曲そのものを味わうよりも、作曲家の背景や時代を理解することで楽曲の解釈も変わってくることがあるが、リディアは明確に「楽曲そのもの」を重視している。それは、ロジックと対極にある感性の世界なので、作品そのもののロジカルさと対照的に感性の重要性を説いているところが興味深い。最終的にアーティスト気質のリディアが失脚し、尊大なライフスタイルが崩壊してしまうことは、感性に対する論理の勝利を意味しているのかもしれない。

そして何よりも、この映画を特徴づけているのはケイト・ブランシェットの卓越した演技だ。アクの強い主人公の価値観を踏まえ、すべての行動パターンが違和感なく調和するように演じていたところは何物にも代えがたい。台詞と表情、仕草、それらのすべてが統一された表現として見る者に届けられる。これでオスカーを取れなかったのは、ダイバーシティへの過剰な忖度があったせいだとしか思えない。

不満なのは、ここまで完成された作品としてはエンディングがあまりにも陳腐だったこと。途中から、どうオチをつけるのか、どうしたらオチがつけられるのか気になっていたが、やはり妥当なオチはつけられなかったということだろう。