【映画】スーサイド・スクワッド

ジョーカーにしてもハーレイ・クインにしても、単体でストーリーを作るとどうしても不幸な境遇に起因する反逆行為を正当化する色が強くなってしまうのだが、これだけ集団で群像劇のように描かれるとストレスを感じずに楽しめる。それどころか、悪人であっても使い様はあるというダイバーシティインクルージョンのメッセージにうまく合致するので、ポジティブで社会的な作品に見えてくるから不思議なものだ。

悪党たちを集めてチームとして機能するのかという疑問はあるが、その答えはハーレイの台詞にある「仲間」なのだろう。チームとして自分の役割をこなすというよりも、仲間のためにできることをするというマインドだ。これは、企業の組織戦略においても応用できそうで、職務分掌を決めて目標管理で個人の責務を落とし込むのではなく、チームとしての一体感を醸成することに意味がありそうだ。

個人的に気になるのは、音量のバランスの悪さ。会話のレベルに合わせた音量設定にしていると銃撃戦の部分がうるさ過ぎるし、銃撃戦に合わせると会話が聞こえない。ヘッドホンで聴く分には、ほとんど気にならないのだが、スピーカーで聴くとどうしてもこのバランスが気になってしまうのだ。これだけ配信が進化した時代なので、映画館で視聴する前提に立たずに制作してもらいたい。

ちなみに、デッドショットの行動を見ていると、2022年のアカデミー賞授賞式でのウィル・スミスがやらかしたビンタ事件に違和感を感じなくなる。もしかしたら、あの瞬間は、デッドショットがウィルに憑依していたのかもしれない。