【映画】ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY

当たり前のメッセージをストレートに伝えるマーベルとは違い、DC作品はダークな価値観を体現する。それが視聴者のカタストロフになり、結果的に犯罪や「ちょっとした悪いこと」が抑制されるとしたら意味があることなのだろう。しかし、逆に犯罪や悪事を助長してしまうリスクも大いに秘めていることを、忘れてはいけない。「ジョーカー」もそうだったように、模倣犯というか悪ノリする輩は日本にもいるし、銃社会の米国では何が起きても不思議ではない。

本作は、ジョーカーと破局したハーレイ・クインが類いまれな頭脳とフィジカルを使って、自らのフラストレーションを解消する流れ。悪事を楽しんでしまっているだけに、視聴者の受け取り方も様々だろう。組織において不正が起きる要因として「機会、動機、正当化」の3点が揃うと危険だと言われている。「正当化」とは、つまり「自分はかわいそうな境遇なのだから仕方ない」「こうすることが社会のためなのだ」「あの映画でもそう描かれていた」といったことだ。最後にハーレイ・クインが破滅するならまだしも、そうなっていない以上、正当化の要素を世の中にばらまいたということに他ならない。

この手の作品を純粋に楽しめる人種もいるのだとは思うが、そんな人たちと僕は仲良くなれそうにない。子供の頃には確かにこんな破壊願望も持っていたし、それなりに行動に移したこともないわけではないのだが、さすがに社会人世代となってまでこのようなマインドが続いている社会は、かなり危ないと思ってしまうのだ。