【映画】聖なる証

フローレンス・ピューが主演ということで、興味を持って観た作品。「ブラック・ウィドウ」でのコメディエンヌ要素は一切なく、少女の生死と宗教が絡む難しいタスクに直面した看護師リブをシリアスに演じる。宗教的な正義を方便にして自らの行動を正当化する少女の母親に対し、冷静な視線で解決策を見出すのだが、真実を見据える眼差しに鋭さに、ピューの演技は集約されていた。序盤は展開が読めずに、ややもったりとした印象もあったが、終わってみれば見応えが十分にある佳作だった。

しかし、それ以上に演技が光ったのは、絶食を強いられる少女を演じたキーラ・ロード・キャシディ。一家の過去を引きずりながら、自ら「罰」を受けることで来世での平安を願う少女のけなげさや凄惨さ、そしてそれを心から納得していないのであろう雰囲気をうまく醸し出していた。ピューの演技だけでは生み出せない奥深さを、キーラがスパイスのように付け加えていたように思う。

それにしても、宗教的に裏打ちされた価値観は、ある意味恐ろしい。「信じない」という選択肢を奪われてしまうし、信じることで「未来のビジョン」が共有できることにもなり、信者同士の結束も高まってしまう。それはすなわち、信者でないものとの対立を生み出すということだ。人類の歴史の中でも何度も繰り返されてきた宗教上の対立は、もっと身近な「価値観」のレベルで言えば「ムラ社会」の対立と根は同じ。内輪での当たり前が他人には非常識であることが、情報化が進んだ現代でも起きている。自分の思う「常識」を疑うことが、明るい未来のためには必要なのだ。