【アカデミー賞授賞式】ウィル・スミス事件

アカデミー賞授賞式の最中に、プレゼンターのクリス・ロックのジョークに激高したウィル・スミスがロックに平手打ちを見舞う事件があった。事の真相は、ロックがスミスの妻が気にしている脱毛症をネタにしたからとのことだ。あのような場で暴力行為に及んでしまったスミスが許されるはずもないが、ロックの軽すぎる発言も批判されるべきだろう。しかし、本質的な問題はアカデミーが時代に取り残されているということなのではないだろうか。

もともとアカデミー賞の選考や授賞式の顔ぶれには、性差別や人種差別が叫ばれてきた。今回もMCを務めたエイミー・シューマーが、「(今回のようにMCに)3人女性を雇っても、男性1人より安い」というジョークを飛ばしていたが、性別と人種については一応アカデミーも気づいて表面的には対処し始めていた。しかし、弱者をネタにしたものも含め、MCやプレゼンターのトークは相変わらず「高齢者が昔からなじんでいる価値観」のままなのだ。

日本のお笑い界も、かつては徒弟制度で厳しく師匠に育てられた体制が崩壊し、学校のような組織に移行して質が下がった。弱者をネタにしたり、自分の発言が誰を傷つけるかを理解しなくなったりということが起きたのだ。弟子が人権を持ち民主主義が進んだことによって弱者が叩かれるという、民主主義の自己崩壊が生じた。これは別にお笑いに限った話ではないだろうが、少なくともアカデミー賞授賞式にこの手のジョークが必要だとは思えない。

個人的には、自分がクリス・ロックになるスクよりウィル・スミスになってしまうリスクの方が格段に大きいので、スミスの行為の方により強い嫌悪感を抱く。ロックの行為の方が正しくないとは思うのだが、世の中にあんな人はいくらでもいるし、特に大切な誰かを攻撃されたとしたら、僕はおそらくスミスになってしまうだろう。