【北京オリンピック】男子ハーフパイプ

すでにネットでも賑わっているように、素人目に見ていてもハーフパイプの採点基準には疑問を持たざるを得ない。それは、単に「平野歩夢の2回目」に限らない話だ。例えば、最初に演技した平野海祝の高い演技に乱れがあったのは事実だが、あの美しい高さをもって75点には納得しかねたし、実況席の「最初だから点を抑えられた」というコメントがまかり通ってしまう「業界」にも違和感を覚えたからだ。

世間が騒いでいる平野歩夢の2回目に関しても、実況席は「隠し技を引き出すためでは」というようなコメントをしたが、そもそも採点競技で採点者の主観が入って当たり前という風潮がある時点で、もう競技としては成立していないのだ。点の出方を見れば、明らかに自国の選手を有利にしようとする意図があまりにもあからさまに浮かび上がる。ジャンプ混合団体のスーツ問題やショートトラックの救済判断は、百歩譲って「競技の周辺的な事象」と呼んでもよいが、さすがにハーフパイプの採点は「競技の根幹」なのだ。かつての体操やフィギュアスケートにも類似した傾向があったとはいえ、それらは改善してきている。ハーフパイプも改善が必要であり、そしてそれは即時にという条件もつくだろう。

それにしても、平野歩夢が点の出なかった2本目を「やり直し」て、3回目は周囲が何も言えない演技で金メダルを確定させたことは驚異的だ。精神面を称える論調が多いが、これはつまり「気合いだ」と言っているのと同じこと。それを可能にしたのは、やはりここに至るまでの技術的な成長のはず。単に「メンタルの強さ」だけで片付けてはいけない問題なのだと思っている。そうでなければ、ブラック企業の思考から抜け出せなくなる。