【Netflix】アイリッシュマン

この作品を見て僕がマーティン・スコセッシから受け取ったメッセージは、この数十年ですっかり様相を変えてしまう前の社会の記憶と評価ということだった。ギャング映画とかマフィアとか裏の米国現代史といったような見方は、もちろんできる。それも結局は、当時の社会が持ち合わせていた側面を極端な事例から捉えたというだけのことではないだろうか。

ちょっとしたことで怒りを感じては、相手に暴力をふるい、殺人を犯す。それは程度の違いこそあれ、一昔前の日本でも当たり前に存在していた喫煙や暴力、マナーのない人々の姿だ。例えば、電車の連結部分で喫煙したり、駅での乗り換えの時に線路上に降りてホームを渡ったり、そんなこともみんなやっていた時代があった。僕の父も、子供がいじめられれば、その相手の家に怒鳴り込みに行くような人だったから、ロバート・デ・ニーロ演じるフランクと大差ないのだ。

殺人を犯しても本人が黙秘すれば、証拠固めは難しい時代だ。今のように監視カメラが町中にあるわけではないし、何かを目撃した人がSNSで発信するインフラもない。悪や闇は、日常生活と隣り合わせに存在していた。それから数十年の間に出来上がった「監視社会」で、僕たちは何を手に入れ、そして何を失ったのだろうか。そんなことを問いかけられたように感じながら、何度も繰り返される血しぶきのシーンを見ていた。