【大分―栃木】無自覚な戦術不在

結果は伴わなかったが内容はよかった福岡戦までの形を捨てた田坂和昭は、結果だけが収穫だった長崎戦の形は変えなかった。守備が幸運にも無失点で切り抜けたとはいえ、攻撃も奇跡的なFK一発だけで実質的には崩壊していた。「勝っているチームを変えるな」という定石を、完全に誤解しているようにしか見えない。

世間一般のサッカークラブが「4-1-4-1」というシステムを使わないのは、それが機能しないからだ。機能するとすれば、そのシステムに沿った強化を徹底できた場合だけだろう。だいたい、このチームのこのロスターで1トップは機能しない。1トップに求めるのがポストプレーでも、あるいは相手のラインを押し下げることでも、どちらにしてもそれだけのスキルのあるFWは見当たらないのだ。

アンカーにしても同様だ。前節の評価として、監督は松本昌也を「セカンドボールへの対処は完璧だった」と語ったが、問題はそこではない。DFラインでボールを回している場面で松本昌也はまったく絡めず、出しどころのないまま奪われるシーンが頻発していたではないか。今節もダニエルをDFに下げた時点で崩壊した。エヴェンドロの投入は早かったが、そうするのであれば最初から伊佐のような結果の出ないサイドバックを使わなければよい。

今節の最大の問題も、パスの出しどころがないことだった。それはつまり、セットプレーがチャンスにつながらないということでもある。それなのに、兵頭を投入したのは81分。明らかに遅すぎるし、その間監督はベンチで昼寝でもしていたのだろうか。

戦術が机上のものになっているのは監督も理解しているようだが、それは選手が体現できていないのではない。監督の戦術に無理がある、もしくはそもそも戦術ですらないのだ。そこに気づかずに、選手に話をするという対処しか思いつかない人間には、クラブチームの監督は務まらない。そして、それに気づかない経営者はクラブのトップに立ってはいけない。