【東アジアカップ】中国戦の意味

ただでさえ層の薄いサムライブルーのディフェンス陣で、海外組も今野もいなければこんなものだ。栗原は軽率なプレーで勢いを削ぎ、駒野は相変わらずの中途半端なプレー。攻撃好きな槙野は、守備ではあまりにも出来が悪かった。3失点目の日本の守備では、かわされた駒野も逆サイドで何もできなかった槙野もひどかった。

しかし、2回目のPK判定は微妙だった。うれしそうにファウルを取るウィリアムス主審だが、このときは特にホッとしたような表情に見えたが、それは気のせいだろうか。韓国で開催されているゲームということを考えると、2002年のワールドカップでの買収疑惑がどうしても頭をよぎってしまう。

攻撃陣は、それなりの成果を残した。柿谷、工藤、高萩、原口と並ぶ前線は立ち上がりこそ固かったが、よい連携を見せた時間帯も十分にあった。ただ、そんなタレントをうまく生かせなかったのは、ボランチに入った青山の不調も要因となっている。攻め込まれて引き気味になるDFからの球出しに、タメを作ることができずに前線との距離が開いてしまった。それでも山口は機能していたのだが、青山の中途半端さが際立ってしまった。その意味で、ザッケローニの交代カードは妥当だったと言えよう。

ただし、エクスキューズもある。カンフーサッカーと揶揄される中国相手に、リーグ戦のシーズン真っ只中にケガをしたくないのは当然。寄せが甘くなったり、必要以上のボディコンタクトを意図的に避けたとしても、それは責められない。初戦は全チームがドロー。格下とされていた中国と引き分けてしまった日本が一番痛い結果ではあるが、オーストラリアと韓国相手には普通にサッカーができると考えよう。