【沖縄】貿易と戦争

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沖縄旅行の最終日は、南部の戦跡地を巡りました。ひめゆりの塔では、極限状態に置かれた人間の惨状を生々しく受け止め、戦争と言うより「人間の生」のはかなさや切なさを感じました。そして摩文仁の丘にある平和祈念公園では、アメリカのワシントンDC郊外にあるアーリントン墓地に似ているという印象を持ちました。

だけど、よく考えてみると、アーリントンと摩文仁はまるで性質が違うんです。アーリントン墓地は亡くなった兵士が眠るところです。僕が3年前に訪れたときにもイラク戦争などの影響で、墓地の拡張工事をしていました。一方、摩文仁は沖縄での戦没者の墓地。それはつまり、10万人の兵士だけではなくそれとほぼ同数の民間人もここに眠っているということなのです。

聞きかじった知識によれば、中世以来の戦争は「兵士対兵士」のものであったそうです。民間人を狙った東京大空襲や原爆投下、沖縄やサイパンの殲滅攻撃、(議論はあるものの)南京大虐殺のような行為は現代における新たな戦争の形態なのです。まあ、占領した地区をすべて焼き尽くすような行為もあったようなので、どこまで真実なのかは不明ですが、ここまで民間人が大量に殺戮され得る恐怖は他人事ではないち強く思いました。

ただ、もともと琉球は東南アジアや台湾、広州との貿易で栄えた王国。首里城の栄華は、まさに中国との貿易を握っていたからこそもたらされたものでしょう。貿易・交通の要衝であることのメリットとデメリットは、まさに背中合わせなのですね。