【舞台】ハリー・ポッターと呪いの子

赤坂ACTシアターでロングラン公演中の「ハリー・ポッターと呪いの子」を鑑賞して。舞台芸術の素晴らしさに感動するとともに、あらためてその奥深さを味わった。「ハリー・ポッター」シリーズは映画もすべて見ているし、原作も原語で読んでいる。もちろん、この「呪いの子」の脚本版も読んでいるのだが、演劇空間に表現されてはじめて気づくことも多かった。

何よりも痛感したのは、映画や小説では表現できないメリハリ、あるいは強弱だ。小説は自分のペースで読み進めることができるし、映画もそれなりに特定の場面に時間をかけることはできる。しかし、抑揚や特殊効果といった非現実的な要素を駆使できる舞台の上で、そのコンテキストを共有できるオーディエンスがいることで実現することがある。説明的な部分はタイムラプスのように飛ばし、核心に触れる部分はじっくり溜めて濃密な時間を作り上げる。これがまさに、演劇空間の醍醐味だ。

ディメンターの浮遊しかり、ポリジュースによる変身しかり、そしてヴォルデモートによるポッター家襲撃を主人公たちが直視する様子を劇場全体を使って表現した場面しかり。演劇大国である英国の文化を背景に、J.K.ローリングを含む作家陣が演劇空間の可能性を理解して書き上げた脚本と、それを何倍も豊かに可視化したプロダクションには惜しみない賛辞を贈りたい。

率直に言って、演者には過酷な環境だ。もともと2部構成だった本作は、2021年に2幕構成の1部に変更されたことで、かなり時間を切り詰めたはず。転換までもすべて公演の重要な要素として扱い、台詞は早口で大量の言葉を発しなければならない。主役級のキャストがカミカミだったとしても致し方ないし、この舞台装置と演出があれば、誰が演じていてもオーディエンスに満足感をもたらすことだろう。そんな中でもジニー役の白羽ゆりは、元タカラジェンヌの貫禄を発揮して他を圧倒していた。

僕はメルボルンで4年前にこの舞台を見るはずだったが、コロナ禍の影響で渡航が叶わなくなった。それだけに、今回この舞台を東京で見られたことは、いろいろな巡り合わせによるもの。それは、本作で「タイムターナー」を使ったアルバスとスコーピアスが実感したことに他ならない。