【吉本ばなな】「人生の旅をゆく」の感性

僕は、吉本ばななの淡々としているけれど鋭く研ぎ澄まされた感性がつぶやく言葉が好きです。それが小説であっても、エッセイであっても関係なく、彼女が触れることで組み直された世界が心地よいのです。このエッセイ集「人生の旅をゆく」は、まさに旅行先で感じたことを書いたものもあれば、生活の中で感じたこともあります。場面は異なれど、彼女が感じる思いを僕は共有できるように思うのです。

吉本ばななは、心など持たないはずの植物やモノに対して申し訳なく思います。それは僕が、名刺入れに新しい名詞をつい手前に入れてしまって、奥に残っていた数枚に対してふと感じることに似ています。ゴミ袋を包んでいた包装紙が、次の瞬間にそのゴミ袋に捨てられるゴミに変わることに、僕は無常を感じます。そんな馬鹿馬鹿しいともいえる心の動きが、たぶん近いのでしょう。

ただ、そんなに近い感性を感じながらも、彼女の書く「日本が特別な環境であること」「親子の情は普遍だということ」には強烈な違和感を覚えます。それは、やはり自分の視点とは違う見方があるということなので、不思議でもなんでもありません。人それぞれ、やはり思うことは同じではないのだということを確認できることも、自分の殻に閉じこもらないためには必要です。

このエッセイの中で彼女が愛犬「ラブ子」の死について語るとき、僕はやはり死んでしまった愛猫「ノエル」の最期を思い出して、電車の中なのに思わず目が潤んでしまいました。自分の日常を、別の目線でとらえたり、忘れていた心の動きを思い出すヒントが、きっとここにはあります。