「違和感」の異和感

村上龍のエッセイ「ハバナ・モード」を読んでいて、あることに気づいた。それは「いわかん」という単語が「異和感」と印字されていること。普通に「いわかん」と打ち込んで変換しても、異和感とは出てこないんだよね。辞書によれば「周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと」とあるんだけど、僕の感覚では「違う感じ」というよりは「異な感じ」の方がピンとくる。違うからなじまないっていうより、異物があるからなじまないっていうところかな・・・

で、何が言いたいかというと、僕もかつて上司に出すレポートに敢えて「異和感」って書いたことがあるんだよ。それが僕の語感にマッチしていたから。でも案の定、その手のことに異常に細かい彼女は、さりげなくコメントに「違和感」と書いて、字が違うことを教えようとしていた。

村上龍が意図的にこの単語を使ったのかどうかわからないけど、もし僕と同じことを考えていたのだとしたら、ちょっと嬉しいなと思いました。ちなみにこのエッセイ、時事問題に対する自分の視点を整理するには向いている。中には強引な論理のものも、少なからずあるんだけどね。