【映画】イニシェリン島の精霊

アカデミー賞のノミネートで興味を持った作品だが、アラン諸島を訪れたこともあり、ヴァイオリンを弾いていたこともある僕にとっては、親近感を覚える作品であったともいえる。ブラック・コメディという位置づけで、絶縁した親友との関係を決定的なものにすべく、切り落とした自分の指を家に投げ込むという展開。見ていて決して気分のよいものではないが、そこに主題が集約されるわけではなく、あくまで一つの側面なのだ。ブラックな側面の鍵となるコルム役にグレンダン・ブリーソンを起用したことが、作品の質を上げつつも、印象を悪くしているようにも感じた。

僕が受け取ったのは、2つの観点だった。ひとつは、「人生が残り少なくなったことを自覚したときに、ただ無益なおしゃべりで時間を過ごすのではなく、物事を考えたり音楽を創造したりして過ごしたい」ということ。これは人生の残りがどれほどかに関わらず、常に頭にあることだ。仲間と笑い合って時間を過ごすのは楽しいかもしれないが、自分にとって何も残らないとすれば、ただ死に向かって時間を浪費しているだけで、自分が何のために存在しているのかわからなくなる。

そしてもうひとつの観点は、「閉じられた世界の中でもがいていても、結局は何も生み出さないばかりか、自分に近い誰かを無意識に傷つけてしまう」ということ。狭いコミュニティの中で同質性を求めることは、日本における同調圧力の問題にも通じる。閉じられたコミュニティを描くのに、アラン諸島という孤島は格好の舞台だったということだろう。荒涼とした風景が、登場人物たちの置かれた状況をよく表していた。