【サッカー】決定力って何だ?

マスコミが日本のいろいろな世代の代表を語るときによく使う表現に、「決定力不足」がある。しかし、よくよく考えてみると、これほど実体の伴わない表現も少ないのではないだろうか。ワールドユース初戦のオランダ戦の記事で、日本経済新聞の見出しは「FW決定力不足」。日経のサッカー報道といえば他のスポーツに比べれば深い理解に基づく記事には一目置いているのだが、これには安易さを感じずにはいられなかった。

オランダ戦を語るなら、前半は決定力云々ではなく、攻めがまったく形になっていなかったことが問題である。その状態から、終盤の攻勢によく持ち込めたというのが僕の率直な意見だ。つまり「決定力不足」と嘆くよりも、あのボロボロの前半から立て直した大熊清監督と選手を称えてもよいはず。そして、記事で触れられているカレンや森本をレビューしてみよう。前の記事にも書いたように、カレンがふかしてしまったのは(GKにセーブされまいと思うあまり)重心が後ろに残ってしまったことだ。「決定力」などという正体不明な言葉を使うより、ゴール前での一瞬の判断や軸足での支え方を論じるべきだ。森本は、あの局面で「強いシュートを打つ」という選択に間違いはなく、セーブしたGKを誉めるべき。サッカーは相手のあるスポーツなのだから、GKとの駆け引きの失敗を責めても仕方ない。「決定力」は、そのような意味で使われてはいないだろうか。

要は、明日につながる理解をすればよいのだ。日本のマスコミに言いたいのだが、得点がとれなかったということを嘆くだけの記事をジャーナリスティックに見せる魔法の言葉「決定力」は、そろそろ見直す時期ではないだろうか。