ウェス・アンダーソン監督作品らしく、豪華な俳優陣が学芸会のように演劇要素たっぷりのプロットを楽しみながら演技している。4つのエピソードを雑誌の記事に見立てたオムニバス形式で扱っていることが、映画にしては過剰なまでの演劇空間で展開されるために、まるでコントを見ているような気分になってしまった。コントという言葉を使った意図は、安っぽく見えたということ。メッセージはしっかり籠められ、俳優陣の演技にも見応えはあるのだが、それらが上滑りしてしまってもったいないという感覚だ。
殺人で収監されている囚人のアートを同じく収監されている画商が見出すエピソードでは、アートの価値がどこにあるかを問い掛ける。ゴッホの「郵便配達人ジョセフ・ルーアン」を思わせるような人物モーゼス・ローゼンターラーは、その名前からはナイーブアートの画家グランマ・モーゼスを想起させる。名のある画家の作品ではなくても、そこにある美が共感を呼べばその価値が高まる。共感を呼ぶ物語を添えるジャーナリズムがその一翼を担っているということで、このブログもそんな役割に手を貸せたらよいと思っている。
さほど登場シーンが多くない割には、エリザベス・モスの存在感は圧倒的だった。印象に残ったという意味では、フランシス・マクドーマンドとティモシー・シャラメが恋人関係にあるという設定だろう。ウェス・アンダーソンらしい奇想天外な発想だが、恐らく他の監督は思いつかないし、思いついたとしてもその通りにはキャスティングできないはず。そのあたりが、ウェス・アンダーソンの強みでもあることは間違いない。