テロは絶対的な悪か?

戦争それ自体が誉められることではないが、戦闘状態にある軍隊同士が殺し合いをしても大きな問題にはならない。やらなければ、やられるだけだ。しかし、相手が民間人となれば話は別。特にそれが病人や子どもや老人だったら、許せないという思いはつのるだろう。テロも同じことだ。ジョージ・W・ブッシュは「テロリストとの戦争」という表現を使った。となれば、米軍は攻撃されても仕方ないことになる。米軍と行動を共にしている軍やそれに準ずるチームも、当然に同様な扱いを受けることだろう。

そう考えるとテロが悪なのは、その攻撃対象が民間人、そして多くの場合不特定多数だからだ。オサマ・ビン・ラディンを殺してもよいと思っている合衆国大統領が仮に狙撃されても、それはただの戦争の一形態と言ってもよいかもしれない。しかし、ワールドトレードセンターで仕事をしていたり、ロンドンの地下鉄で通勤途上にあった人が殺される理由はないのだ。

しかし、である。それもあくまで、僕たちの論理でしかない。宗教の教義を信じている人にとっては、それを信じないものは悪なのだ。カトリックはそうして帝国主義の先鋒を務めたし、特にイスラム地域では国家は宗教そのものだ。僕たちの国家は、国民主権とはいえ多数決で物事が決まり得る。自衛隊イラク派遣に反対する議員に投票した人も、アルカイダから見たら「自衛隊を送り込んだ日本の主権者たる国民」に違いない。国家観の違う人にこれを説明することはすなわち、信仰を捨てろと言うのと同じようなものだ。これが、コミュニケーションの限界なのだと思う。「話せばわかる」なんて、きっと平和な日本人の幻想でしかないのだ・・・