【秋田遺棄】地域社会の限界

秋田の事件で、水死した少女の母親が死体遺棄容疑で逮捕され、容疑を認めているという。この事件に関しては、豪憲君の父親と容疑者の関係も指摘されているようだけど、まだまだ解明されていない部分も多く、マスコミが先行して暴走気味だ。

この容疑者逮捕を受けて、車を列にして子どもを送迎している保護者のコメントで「地域にどんな人が住んでいるかわからないのが不安。もっと話し合わないと」というものがあった。前にも似たようなコメントを書いたことがあるが、僕は基本的に「性悪説」なので、「こんな悪い人間がいること」は信じられる。人を殺めないまでも、普通の価値観とはまったく違う思想を持っている人間なんて、いくらでもいるのだ。だから、そんな連中と「話し合っても」意味などない。

必要なのは、自分たちと違う価値観を持って、それだけを信じている人種がいることを認識することだ。「話せばわかる」なんて思っていたら、バカを見るのは自分なのだ。地域社会の連携ですべてが解決できるなんて思いは、幻想でしかない。ルールで縛るしかないのだ。騒音おばさんがいい例だろう。