【セザンヌ主義】学ぶか感じるか

美術展を鑑賞する際に、何を求めるか。美術史的にその画家の位置づけや系統を学ぶのか、あるいはただ作品群が放つ印象を受け止めることに専念するか。

最近の美術展は、キュレーターが前者を意図しているであろうことを感じることがあります。今日訪れた横浜美術館の「セザンヌ主義」も、セザンヌの作品を流れを汲む後世の画家や、影響を受けたであろう作品と対比させて見せています。これはこれで学ぶところも多いのですが、セザンヌの世界観を全身で受け止めたい鑑賞者には、異物が多すぎる展示になっているのです。

セザンヌは主に風景画で、色を塊で見せる手法を用います。閾値を大きくして、つまり大きくしたひとつひとつのドット単位をひとつの色で塗るのです。これは絵筆のワンタッチがひとつの単位となっているようにも見えます。これがブラックのキュビズムや、さらにはカンディンスキーモンドリアンコンポジションにも繋がっているように思いました。特にセザンヌの「宴の準備」という作品は、カンディンスキー抽象絵画の原形になっているように感じました。

セザンヌの絵は地味ではありますが、モデルの緊張気味の表情を正面から漏らさずとらえたデッサン力や、エクス・アン・プロヴァンスやサント・ヴィクトワール山の岩山や家屋の土壁を描く土の色に彼らしさを感じます。今回の展覧会はセザンヌを堪能しようと思うと物足りないけれど、彼の画風が後世に何をもたらしたのかを知るにはよい構成だったのではないでしょうか。今日は大晦日ということもあって、館内は空いており、ゆったりと鑑賞することができました。

http://www.ntv.co.jp/cezanne/index.html