【マナー】都会人の論理

最近読んだ本に、「飛行機を降りる際に、我先にと出口に殺到する日本人は見苦しい」というような内容が書かれていました。その本に限らず、日本人のマナーの悪さを語る際に「譲り合い精神の欠如」はよく言われますよね。確かに僕も、ベルトサインが消えないうちに立ち上がって荷物を下ろすようなマナーのない人たちは大嫌いです。でも、「譲り合わない」ことにはそれなりの理由があるように思うのです。

同じ例を考えれば、通路が2本ある飛行機を降機する際には、空港によっては出口がひとつしかなくて、ドアの前で2本の行列が合流することになります。そこでときどき自分は急がないからと、何人も続けて他の列を先に行かせる人がいませんか? そんなとき、その人の後ろの人は、なかなか先に進めなくてイライラするはずです。

「譲り合う」ことと、「ちょっとでも行けそうだったら行ってしまう」ことは対立する概念ではないのです。「自分がちょっとした隙を突いて先に進めば、後ろに並んでいる何人もが少しでも早く降りられる」という配慮がある場合も多いのではないでしょうか。特に東京のような人口が異常に多い都市で生活していると、「回りの人に迷惑をかけない」ことはストレスを緩和し、無用なトラブルを回避する生活の知恵なのです。

多くの人がいる空間において何かをしようと思ったとき、僕は「それをしてもよいかどうか」の基準を持っています。それは、「その空間にいる全員が同じことをしても、その場の秩序が保たれるか」ということです。話し声の大きさも、そこにいる人全員が同じレベルで話しはじめても快適な空間でいられる程度にすべきですよね。「ちょっとだけだから」「自分ひとりくらい」と考えずに、その「自分ひとりくらい」を全員が同時に実行したらどうなるかを考えることが、都会人のマナーなのではないかと思います。