脱線事故と25セント

グアムの出国で、ラップトップPCをバッグから取り出していると、係官が「日本製だね。性能はいいかい?」って聞いてきた。「いいよ」と答えながら、日本じゃこんな会話はあり得ないだろうな、と思っていた。そしてチェックを終えた荷物をピックアップしようとしていると、別の係官が持っているプラスチックの容器に誰かが忘れたクォーター硬貨が1枚入っている。「君のじゃない?」「違うよ」「これ、自分が見つけたとなるといろいろ面倒なんだよな。ほんとに君のじゃない?」そう言いながら、容器を僕の方に指し出してくる。仕方ないなと思いつつ、苦笑しながらその硬貨を取り上げると、彼はうれしそうに「Good Job!」と一言。

クォーター1個失くしたくらいで困る人はいないだろうし、一日中続くであろう単調な仕事の中でこんな「ふれあい」があったっていい。でも、恐らくこういうことって現代日本では受け容れられないだろう。そうありたいわけじゃないだろうに「管理社会」になってしまったのはなぜだろう。規律を維持するためには白か黒かはっきりしないとやり難いのだとは思うが、僕たちはあまりにも「余地」をなくしてしまっているように思う。それが、学校の崩壊や尼崎の事故につながってはいないだろうか。「社会のせい」と言うつもりはない。しかし、そろそろ無益な犯人捜しは止めてもいい。

ちなみに、このクォーター硬貨はスマトラ津波の募金のボックスに入れておいたので、ご安心ください。