【川崎男児投落】そこにある心の闇

報道ステーション」の古館伊知郎が、いつものように大仰に「人間は、こんなにも変わってしまうものか」と芝居がかった口調でニュース原稿を読む。それを聞いた僕の感想は、「この人(=古館)は、そんなことも気づかないでキャスターやってるのか?」ということだった。

人間の心の闇なんて、すぐそこにある。それによって人を殺すとか傷つけるとまではいかないにしろ、ルールがわかっているのに守らないとか、社会の求める結果とは違う結論を出すことなんていくらでもあるのではないだろうか。「人は皆、聖人君子で、常にルールを守って生活している」なんてことは幻想でしかない。そういうことを忘れそうになったら、「ナニワ金融道」でも読んでみればよい。マンガが嫌なら、宮部みゆきの「火車」や「理由」でもいい。人は、楽な選択をしたいという気持ちを生活のいろいろな局面で抑えながら、暮らしているのではないか。

僕は「男児をマンションから投げ落としたい」とは思わないが、そう思う人がいても不思議ではない。「出会い系サイトで知り合った高校生に暴行したい」とも思わないが、そう思う人は間違いなくいるだろう。人が判断を誤るとき、その一番の典型は異性関係だから。人事の仕事などをしていると、そういうケースを嫌でも見てしまうのである。

だからこそルールが必要だし、なぜ必要なのかを理解していないといけないのである。僕は基本的には「性悪説」を信じている。ただし、この場合の「悪」とは絶対的な悪ではない。その時代、その環境における「善」という共同幻想に対する、相対的な「悪」なのだ。「こうしなきゃいけない」という善は、そうしない方が楽だからこそ強いられるものだから。