【人事の話】落とす難しさ

朝日新聞の「声」に、「面接担当者は節度守って」という表題の投稿があり、興味を惹かれました。その内容を要約すると、就職活動中の30代の男性があたった面接官の態度が横柄だったり、すぐに自分を追い返したりしたそうで、このような行為を続けていれば「因果応報ということもある」と結ばれています。僕自身も今、転職活動の真っ最中ですが、そこまでひどくはないとしても、面接官の側に「選んでやる」という意識が垣間見えることは多いです。

例えば、この投書の例のように、履歴書や職務経歴書を見ただけで落とすのであれば、なぜ面接を実施したのでしょうか。書類選考で落とすということをすれば、落とされる側も余計な時間や労力を使う必要もなければ、面接の場で不愉快な思いをすることもなかったはずです。

翻って人事の立場で考えてみると、僕のかつての同僚にも「できるだけ多くの候補者に会って決めたい」という主義の採用担当者がいました。しかし、できるだけ多く面接しても採用するのは通常ひとりだけ。となると、いたずらに「落とす人」を増やすことになります。あまり可能性がないのに、履歴書である程度判断できるのに、とりあえず会って自分の中に基準を作りたいという採用担当者がいたとすると、それは横暴というものではないでしょうか。

実は人事にとって、採用するより落とす方が難しいのです。新聞広告などで直接応募してきた場合には、不合格の理由を説明しないことが一般的で、落ちた本人が問い合わせしてきても、まず本当のことは語られません。しかし、昨今は人材紹介会社経由の採用が急激に増えており、この場合には以降の候補者紹介をスムースにするためにも、「なぜこの人ではダメだったのか」をできるだけ明確に紹介会社には伝えなければならないのです。

このことに気づかずに、漫然と合否判断をしている会社は近い将来、相当なしっぺ返しを食らうことを覚悟しなければなりません。それを因果応報と考えれば、この「声」の投稿者の感覚はいいところを突いているのかもしれません。