【広島―大分】選手を生かさないシステム

マリノスにも神戸にも大敗したが、サッカー自体は見ていて面白いものだった。あえてバランスを崩して、前への強い推進力を見せてくれる。あの内容なら、負けてもそれなりに充実感があった。あのサッカーを続けてくれたら、下位のチームには勝てるだろうと。しかし、片野坂監督は続けさせなかった。いつものように手数を掛けてもたもたボールを進めるうちにスペースがなくなり、シュートコースを探しているうちにロストする。まったく面白くないサッカーに戻ってしまっていたのだ。

広島程度の相手なら点を取って勝てるだろうから、クロージング要員としてペレイラを入れておこう。そういう人選だったのだろう。そうでなければ、最後の1枚の交代カードを本職でない上夷にはしないはずだ。片野坂監督の甘さであり、それを許した榎社長の経営責任なのだ。それは僕がこのブログで予告した通りなので、いまさら説明する必要もないだろう。

呉屋と長沢の投入は場当たりで、入れた選手を生かすサッカーはまったくできていない。誰を入れても同じシステムにはめるだけでは決定機は作れないし、マリノス戦や神戸戦では変化が見えていたのに、なぜそれを自ら取り下げてしまうのだろう。選手の良さを引き出さない采配は見ていて面白くないし、選手もだからこそ移籍してしまうのではないか。マグノアウベスのような選手が来なければ、この体制ではもうどうしようもないだろう。若手を育ててこなかった代償も、今となっては非常に大きい。