【小説】シブヤで目覚めて

日本通のチェコ人作家アンナ・ツィマによる、ファンタジー要素と大正記の日本文学へのオマージュに溢れた斬新な作品。作中には、いかにも引用したかのような懐古調の文体で「川下清丸」という小説家の作品が登場するが、実はこれもツィマの創作だ。チェコ語では表現しきれなかったであろう部分が、日本語訳で本来の意図通りに蘇ったということだろう。ただ、翻訳は決してうまいとは言えず、語の選択にはブレている箇所もあるし、個人的には「容態」は嫌いなので「容体」を使って欲しかったとも思う。

作中にはハチ公へのオマージュのような設定もあれば、梶井基次郎の「檸檬」のモチーフの借用や村上春樹の文体のパロディも描かれる。日本の文化や文学に精通していればこその表現には、思わず心惹かれる。小説の舞台はプラハと渋谷で、交互に移行しながら実はパラレルワールドだったというような展開には意外性もあり、適度に張られた読み取りやすい伏線が心地よい。以前プラハを訪れた際、地下鉄駅のエスカレーターなどで珍しい日本人として好奇の目で見られた経験があるが、それは主人公もしくは作者が渋谷で感じた異国間と同じ性質のものなのだと感じた。

これも舞台となる川越は、僕の母親の故郷であり、月に一度は訪れていた懐かしい土地。入間川の存在感も蔵造りの街並みもよく理解できるので、この作品の味わいも深くまった。土地勘のなさからか、川越の描写は渋谷に比べてかなり薄くなってしまっているが、本筋ではないのでやむを得ないのだろう。同じ系統の作品を続けられると飽きそうなので、アンナ・ツィマには新境地を期待したい。